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- リーマンでまだ駆けだしだったころ、どうして資金を借り入れるとき銀行のほうが同規模の一般企業より多く支払わなければならないのかと年上のバンカーに尋ねたことがある。「金融機関は一日で破産してしまう。だが一般企業が市場での地位を失って破産するまでには何年もかかるからだ」と彼は言った。まさにそれが起きるのをわたしはリーマンで目の当たりにした。一度のまずい取引、一度のまずい投資が破滅を引き起こし、突然運命が逆転するのを間近に見てきた。わたしたちは小さい手こぎボートでこの旅をはじめるつもりはなかった。勇敢さではなく卓越性で名声を築きたいと思った。
- 計画当初から、数世代の所有者や首脳陣にわたって生きのこれる堅固な金融機関を立ちあげることを目指していた。ウォール街で会社をおこし、いくらか金を稼ぎ、廃業し、つぎに移る手合いの仲間入りはしたくない。業界の傑出した名前と同一に扱われるようになりたい。わたしたちがもっとも熟知しているのはM&Aの仕事だ。当時、M&Aはまだ大手投資銀行の領分だった。しかし新しいタイプのM&Aブティック(小規模アドバイザリー専門会社)のサービスに対する需要があるはずだ。わたしたちには名声と実績があった。M&Aをはじめるにはスウェット・エクイティ(技術や努力などの無形の資産)が必要だったが資本金はいらないし、企業としてほかにどんなサービスを提供するか考えるあいだ収入をもたらしてくれるはずだ。気がかりだったのはM&Aに波があり、M&Aだけではビジネスを維持していくのに十分ではないことだ。景気が失速すればわたしたちのビジネス低迷する。いずれはもっと安定した収入源が必要になるだろう。それでもはじめるにはうってつけだ。とはいえ規模を拡大し、安定した息の長い組織をつくりあげるには、M&Aの枠を超えてもっと大きなことをする必要がある。
- メイフェアホテルでアイデアを出しあっていたとき、くり返し話題にのぼった事業部門の候補がある。レバレッジド・バイアウト(LBO)だ。リーマン時代には、世界の二大LBO専門会社コールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)とフォーストマン・リトルへのアドバイスを担当した。 ヘンリー・クラビスとは知り合いで、ブライアン・リトルとはテニス仲間だった。LBOについて三つのことに心を打たれた。一、経済情勢のいかんにかかわらず、資産を集め経常手数料や投資利益から収入を得ることができる。二、買収した会社を実際に改善することができる。三、巨額を稼ぎだすことができる。
- 古典的なLBOのしくみはこうだ。運用者は会社を買収すると決め、金額の一部を自己資金で支払い(家を買うときの手付金にあたる)、残りを借入金でまかなう。この借入金が「レバレッジ」にな会社が上場企業なら買収後に非上場化し、株式を非公開にする(そのため「非公開株投資」、「プライベートエクイティ投資」と呼ばれる)。会社は自社のキャッシュフローから借入金の利子を払い、運用者は会社を成長させるために業務のさまざまな領域を改善する。運用者は運用報酬を徴収し、やがて投資益が確定すればその配分を受けとる。実施される業務の改善は、製造工程やエネルギー利用や調達の効率化、新製品ラインや新しい市場への進出、技術の改良、さらには経営陣のリーダーシップ育成など多岐にわたる。数年後、こうした努力が実を結び会社が大幅に成長していれば、運用者は買収したときより高い金額で会社を売却できる。あるいはふたたび株式を公開することで利益をあげることもできる。この基本的なやりかたにはさまざまなバリエーションがある。
- すべての投資の鍵をにぎるのは使えるものをなんでも使うことだ。LBOの概念が気に入ったのはどの投資形態よりたくさんのツールを提供するように思ったからだ。まず、買収するのにふさわしい資産を探す。つぎに所有者と秘密保持の契約を結び、買収する対象についてより詳細な情報を手に入れ、デューデリジェンスをおこなう。バンカーと協働し、経済情勢が不利になっても投資をして耐えられる柔軟性のある資本構成を構築する。買収した資産の改善を安心してまかせられる経験豊富な人材を投入する。すべてがうまくいけば、売却の時期が来たとき、つぎこんだ借金(レバレッジ)が投下資本に対する利益率をあげることになる。
- このタイプの投資は株式を買うより格段にむずかしい。数年にわたる労力、努力、忍耐、優れた管理、熟練した専門家のチームが必要となる。しかし何度もくり返し成功させれば大きな利益をあげ、アビントン高校でアームストロングコーチがなしとげた一八六勝四敗のような実績を積み、さらには投資家の信頼を得ることができる。このような投資で得られる投資家 年金基金、学術団体や慈善団体、政府などの機関投資家や個人投資家―――の利益は、教職員、消防士、企業の社員など数百万人の退職資金を確保し、増やすのに役立つという利点もある。
- M&Aとちがい、LBOは新しい顧客をつぎつぎに開拓する必要はない。10年間のロックアップ期間を設けたファンドに投資するよう投資家を説得できれば、わたしたちは運用報酬を得ながら10年かけて買収したものを改善し、投資家とわたしたち自身のために大きな利益を生みだすことができる。景気が後退しても乗りきることができるばかりか、パニックに陥った人々が低価格で優良な資産を売りだすため、運がよければさらに投資機会に恵まれるかもしれない。
- 取締役会がわたしたちの提案を退けてから何年かのうちに、LBOマネーの波がアメリカの会社売買のありかたを一変させた。買い手が増え、それまで手の出なかった企業を熱心に買いたがった。銀行は利回りを高めたり、まったく新しい返済条件を設けたりしてあらたなタイプの負債を開発し、買収資金を供給するようになった。企業は不要になった事業をもっとうまくまわせる買い手に売却する好機だととらえた。M&Aの専門家としてまともに受けとめてもらうには、このダイナミックな新しい融資方法をきわめる必要がある。しかしピートもわたしも、もっと大きな好機をつかむには自分自身が運用者になることだと考えた。
- 投資銀行のM&A担当者としてはアドバイザリー報酬を受けとるだけのサービス事業しか手がけられない。運用者なら、自分の働きによってはるかに大きな利益を手にすることができる。プライベートエクイティ会社では、無限責任を負うゼネラルパートナー (運用者)が有限責任のリミテッドパートナー(出資者、投資家)のためにすべての投資について案件を発掘し、遂行、管理をおこなう。ゼネラルパートナーはリミテッドパートナーに運用を委託された資金のほかに自己資本を出資して投資業務をおこない、多くの場合ふたつの形で報酬を得る。投資家から受託し運用する資金に対して一定の割合を受けとる運用報酬と、投資が成功したときもうけの一部を受けとる成功報酬だ。
- ふたり組の起業家にとってプライベートエクイティのビジネスモデルの魅力は、純粋なサービス業を経営するよりずっと少ない人員で規模を大きくできることだった。サービス業では拡大するにつれ、電話を受け、仕事をするために人を増やしつづける必要がある。プライベートエクイティ業では、少人数のグループのままでより大きな資金を調達し、より規模の大きい投資を管理できる。何百人もの人員を補充する必要はない。ウォール街のほとんどの会社にくらべて、プライベートエクイティ会社は構造が単純で、金銭的な報酬は少数の手に集中する。しかしこのビジネスモデルをうまく機能させるにはスキルと情報が欠かせない。わたしたちにはその両方があるし、それをさらに向上させていけるはずだ。
- 事業を立ちあげるにあたってわたしたちが考えた三つ目にして最後の方法は、無制限の質問で自分たちをためしつづけることだった。常に「なぜやってみない?」と自問するということだ。もし投資先として有望なビジネスを拡大するのに適任の人を見つけたら、なぜやってみない? もし自分たちの強みやネットワークや資源を生かしてそのビジネスを成功させられるなら、なぜやってみない?わたしたちの考えでは、ほかの会社はみずからを狭い範囲に限定しすぎ、新機軸を打ちだす自己の能力に限界を設けていた。自分たちをアドバイザリー会社、投資会社、クレジット会社、不動産会社と決めつけてしまっている。それでいてどの会社も儲けるチャンスを追求していた。
- ピートもわたしもこの新しいビジネス領域を「一○点満点」の人材で経営したいと考えた。ふたりとも長いあいだ人の才能を判定してきたため、一○点の人を見ればそれとわかるようになっていた。八点は言いつけられたことだけをする。九点は優れた戦略を実践し開発する能力に秀でている。九点だけでも成功をおさめる会社をつくれる。しかし一○点の人たちは問題を察知し、解決策を考案し、だれに言われることもなくビジネスを新しい方向へ導く。一〇点は必ず大金をもたらしてくれる。
- わたしたちが事業をはじめれば、一〇点の人材がアイデアをもってやってきて、投資や組織的な支援を求めるだろうと考えた。その人たちと対等なパートナーシップを結び、もっとも得意なことをやってみるチャンスを提供する。その過程でその人たちを育成し、こちらも学ばせてもらう。このような聡明で有能な一○点がまわりにいることで知見が広がり、わたしたちのするあらゆることが向上し、想像もしなかった機会を追求できるようになる。一〇点は会社の知識ベースを増やして豊かにする助けにもなるが、そのデータを存分に活用して重要な決定をくだすには、こちらも相応に聡明でなければならない。
- 一○点の人材をひきつけるために必要な文化には必然的に矛盾がある。規模のメリットをすべて備えている必要があるが、同時に人々が自由に発言できる小さな会社の精神ももちあわせていなければならない。きたえぬかれた規律正しいアドバイザー陣、投資家陣でありたいが、「なぜやってみない?」と問うのを忘れてしまうほど官僚的だったり新しいアイデアに対して閉じてしまったりはしたくない。なにより、新会社を設立するために日々奮闘しながらも革新する能力をもちつづけていたかった。適切な人材を集めて適切な文化をつくりあげ、M&AとLBO投資と新事業の三本柱からなるビジネスを展開し、そのすべてから情報を得ていれば、顧客やパートナー、貸し手やわたしたち自身のために真の価値を生みだすことができるはずだ。
- 社名をどうするかは何カ月も悩みぬいた。わたしは「ピーターソン&シュワルツマン」がいいと思ったが、ピートはすでに自分の名前を冠した会社をいくつか立ちあげていて、もう名前は使いたくないという意見だった。無彩色の社名にすれば、新しいパートナーが加わったとき社名にパートナーの名前を追加するかどうかで言い争う必要がないからだ。レターヘッドに五つの名前がずらずら並ぶ法律事務所のようにはなりたくない。わたしは知り合いにかたっぱしから意見を求めた。ピートの妻ジョーンがもっともな意見でわたしたちを説きふせた。「わたしが事業を立ちあげたときは、なかなかいい名前が思いつかなくて最後にはでっちあげたの。「セサミストリート』って。ばかげた名前だけど、いまでは世界中の一八〇カ国に広がっている。事業が失敗すれば名前なんて忘れられてしまうものよ。事業が成功すればみんなに知れわたる。だからなんでもいいから名前を決めて、あとはその名前が知れわたるくらい成功するのを祈るだけ」
- エレンの義父が答えを見いだした。タルムード学者で空軍の首席ラビを務めた人で、ふたりの名前を英語に訳して社名にすることを提案してくれた。シュワルツのドイツ語「シュヴァルツ」は英語のブラック(黒)を意味する。ピートの父親の本名はギリシャ名の「ペトロプロス」で、ペトロスは英語のストーン(石)やロック(岩)のことだ。ブラックストーンかブラックロックか。わたしはブラックストーンが気に入った。ピートも異論はなかった。
- こうして何カ月も話し合った結果、M&A、LBO、新事業という三つからなる特徴ある会社の構想と社名が決まった。わたしたちの会社の文化は最高の人材をひきつけ、顧客に驚くほどの価値をもたらすはずだ。ちょうどいいタイミングで市場に参入し、大きく成長する可能性があった。
- 投資家はみんな、市場は循環するものだと言うが、多くはそれを知らないかのようにふるまう。わたしも、一九七三年、一九七五年、一九八二年、一九八七年、一九九〇年~一九九二年、二〇〇一年、二〇〇八年~二〇一〇年と、大きな市場の下落や景気後退を七度経験した。景気後退は起きる。
- 市場が下落し経済が低迷するなかで市場の底を見きわめるのはむずかしい。ほとんどの公的投資家や民間投資家は早すぎるタイミングで買い、景気後退の深刻さを過小評価する。あまり急いで反応しないことが大切だ。ほとんどの投資家には完全に景気の底を打つまで待つ自信や自制心がない。これでは、もっとあとに実行していれば利益を最大化できたのにと悔やむことになる。
- 景気の底のタイミングをとらえるのは容易ではないし、どのみちとらえようとするのはあまりよい考えではない。というのも、景気後退から本格的に抜けだすには一、二年かかるのがふつうだからだ。相場が反転しはじめても、資産価値の回復には時間がかかる。つまり、底で投資をしてもしばらくのあいだ利益が出ない場合があるということだ。一九八三年に原油価格が下落し相場が底を打ったあと、ヒューストンのオフィスビルを購入しはじめた投資家はこれを経験した。10年後の一九九三年になっても依然として価格は回復していなかった。
- このような状況を避ける方法は、価値が最低水準から少なくとも一○パーセント回復するのを待ってから投資することだ。資産価値は経済が勢いを増すにつれて上昇する傾向がある。安全策をとって市場回復の最初の一○から一五パーセントをあきらめ、確実に適切なタイミングで買うほうがいい。
- ほとんどの投資家が利益をあげたいと口では言うが、ほんとうに欲しいのは精神的なやすらぎだ。報酬を最大化するむずかしい決断をくだすより、たとえ群れが損失を出していても群れのなかにいるほうを選ぶ。ほかと同じことをすれば非難をかわせると思っている。このような投資家は、市場の底近くで積極的に投資するのではなく、ほとんど意味のない市場の天井で投資する傾向がある。資産が上昇するのを見るとやすらぎと安心を感じるからだ。価格が高くなればなるほど、投資家たちはまだまだ上昇しつづけると確信を深めていく。この現象は、景気の底近くでIPOに踏みきるのが不可能に近い理由にもあてはまる。景気が成熟するにつれ、IPOの数、規模、評価は爆発的に増える。
- 突きつめれば景気の波をつくるのは需要と供給だ。これを理解し定量化すれば、市場の天井や底にどれだけ近づいているかを特定するうえで有利になる。たとえば不動産では、既存の建物の価値が再調達価格より大幅に高く評価されている場合、開発業者は新しい建物を建設すればそれにかかった費用より高く売却できると心得ているため、建設ブームが刺激される。これは建物がひとつしか建設されていない場合なら優れた戦略だ。しかし、ほとんどすべての開発業者がこれを簡単にできる金もうけの機会ととらえる。大勢が同時に建物をつくりはじめれば、供給が需要を大幅に上まわり、その市場における建物の価値が低下すること、それもおそらく急落することは容易に予想できる。
- 一九九四年にはラリー・フィンクはブラックストーン・フィナンシャル・マネジメントのために大きなファンドをふたつ設立し、約二〇〇億ドルのモーゲージ資産を運用していた。しかし、FRBが短期金利を予想以上に引きあげはじめたことで長期金利も急上昇し、多くの債券投資家が足をすくわれた。のちに「債券大虐殺」と呼ばれる市場危機で債券価格が暴落し、ラリーのファンドの価値が下落した。
- ラリーは事業を売却しようと考えた。ファンドのひとつがまもなく満期を迎えるため、業績が下向いていることを考えると、投資家が再投資したがらないのではないかと懸念したからだ。わたしはラリーの説得を試みた。たしかにわたしたちは市場のほかの参加者と同様に厳しい状況にあったが、ラリーたちのチームは業界でほかをしのいでいるし、成長をつづけたいと話した。しばらくは業績が落ち投資家が償還に動いても、モーゲージ資産はいずれ回復すると確信していた。焦らずゆっくりやるようラリーに言った。時期が合えば資産や事業を売却するのは問題ないが、その時期ではなかった。手放さずにいればこの事業は巨大になる可能性があった。
- しかしラリーを説きふせることはできなかった。「きみ自身よりわたしのほうがきみを信用しているのはどういうわけだ?」とラリーに尋ねた。ラリーは、自分にとってこの事業は自分の純資産の一○○パーセントを意味するがわたしにとっては一○パーセントにすぎないため、リスク志向が異なるのだと言った。わたしたちは何カ月も行きつもどりつした。
- もうひとつの意見の相違は、この事業の株に関するものだ。当初の契約では、ブラックストーン・フィナンシャル・マネジメントの株の半分をブラックストーンが保有し、残りをラリーたちのチームが保有していた。その後、それぞれの持分を四〇パーセントに引き下げ、残りの二〇パーセントを株として社員にわけあたえることに合意した。もしこれ以後さらに社員にわけあたえる必要があれば、ラリーたちの持分から出す、という取り決めになっていた。ところがまもなく、ラリーたちはブラックストーンにもっと持分をゆずるよう求めた。わたしはきっぱり断った。ラリーたちはすべての仕事をやっているのは自分たちなのにと激怒した。わたしはいったん契約を結んだらそれに忠実であるべきだと信じていたが、いまにして思えば、契約は脇においてラリーの要求に応じるべきだった。
- ブラックストーン、ラリー、そしてラリーのチームは、ブラックストーン・フィナンシャル・マネジメント株の持分をピッツバーグの中規模銀行PNCに売却した。ひとつだけ笑えるのは、PNCに売却されるにあたって社名を変更することになったときのことだ。もう「ブラックストーン」を名乗るわけにはいかない。ラリーは新しい名前でなんらかの組織的なつながりを示す方法があると考え、「ブラックペブル (小石)」か「ブラックロック(岩)」はどうかと提案した。ブラックペブルは貧弱な感じがした。それでブラックロックに決まった。
- この事業を売却したのは大いなる失敗だったし、責任はわたしにある。低迷していたラリーのファンドは一九九四年の最低水準から回復し、PNCはこの投資で巨額を儲けた。ラリーはわたしが常々彼ならやるだろうと想像していたことをなしとげ、業績のよい巨大な会社を築きあげた。世界最大の伝統的資産運用会社だ。ラリーとはよく顔を合わせるが、ほんとうに幸せそうだ。ブラックストーンとブラックロックがどう変わったかを考えると驚かずにはいられない。両社はもともと同じオフィスの少数の人間からはじまり、マンハッタンのミッドタウンで呼べば聞こえるような距離にある。いまもいっしょだったらどうなっていただろうとよく想像する。
- もし一九九四年当時と同じ状況になったら、ブラックストーン・フィナンシャル・マネジメントを売却しない方法を見つけるだろう。ラリーは一○点満点中一一点の人材だったし、ラリーの事業はさにブラックストーンで構築したいと思っていた種類のものだった。収益性の高い巨大な事業になる可能性があっただけでなく、わたしたちがおこなっているあらゆることに情報をあたえ強化するような知的資本を生みだしていた。さらに、ラリーのスキルはわたしのスキルを補完するもので、ラリーは並はずれた人材であり経営者だった。わたしは非流動資産を専門とし、ラリーは流動性の高い証券にくわしかった。わたしたちは同じ会社で両方をやれたはずだ。
- しかしわたしは経験の浅いCEOが犯すまちがいを犯した。互いのちがいを醸成させてしまったのだ。当初の取引条件を尊重することは道徳原則だと考えて、株式の希薄化に対して立場を変えなかった。しかしそうではなく、状況が変わりビジネスが非常にうまくいっているときには、臨機応変に対応しなければならないこともあると気づくべきだった。
起業する前におこなうべき3つのテスト
- 以前、アメリカの一流大学で開かれた学生起業家の会議に出席したことがある。起業について研究している教授が、スタートアップが踏むべきすべての手順――人を雇い、資金を調達し、製品を開発し、市場に出すまでを図解したスライドを見せた。ビジネスがたどる道筋が予測可能な上向きの曲線で示され、さまざまな節目を達成していくように描かれていた。こんなに単純だったらどんなに楽だったことか、とわたしはひそかに思った。起業家としてのわたしの経験は、なめらかな上向きの曲線とはほど遠いものだった。ずいぶん苦しい思いをしたので、事業をつぎつぎ立ちあげる「連続起業家」になりたいという人の気が知れないほどだ。一度起業するだけでも十分大変だ。
- 教授の話が終わりマイクをわたされたとき、この学生たちに現実を知ってもらったほうがいいと考えた。わたしは、ビジネスをはじめるつもりなら、三つの基本テストに合格するビジネスを選ぶ必要があると思うと話した。
- 第一に、きみのアイデアは、自分の人生を捧げるのに見合うだけ大きくなければならない。大きくなる可能性があるものでなければだめだ。
- 第二に、独自のアイデアでなければならない。きみが提供するものを見た人が「うわっ、これ絶対欲しい。こんなのをずっと待っていたんだ。これすごくいいよ」と言うものにする。この「アハ!」がなければ、きみは時間を無駄にすることになる。
- 第三に、タイミングが正しくなければならない。世界は開拓者を好まないから、早すぎると失敗のリスクが高くなる。標的にする市場は、きみの成功を後押ししてくれるだけの勢いで上昇している必要がある。
- この三つのテストに合格なら、大きくなる可能性があり、独自のものを提供し、ふさわしいタイミングで市場に参入するビジネスになるはずだ。そのうえで痛みに備える必要がある。痛みを予期したり望んだりする起業家はいないが、なにか新しいことをはじめるには痛みがともなう。これは避けられない。
- 現実の企業はひょっこり現れるわけではない。資金を調達し、優秀な人材をスカウトするのはほんとうに大変だ。しかし、たとえ規模が小さく資源の制約がもっとも厳しい時期でも、とにかくふさわしい人材を見つけることが重要だ。よそでもっとずっと高い報酬水準で働いている最高の人材には接触できないのがふつうだ。手に入る人材で間に合わせるしかない。つまり、少なくとも判断基準をつぎの簡単な質問にしぼらなければならないということだ。この人はこの仕事に自分と同じだけ熱心にとり組んでくれるだろうか?
- フィル・ナイトはナイキをつくりあげるとき、長距離ランナーを雇っていっしょに仕事をした。仕事の知識でたりない部分があっても体力で補ってくれるとわかっていたからだ。長距離ランナーは決してあきらめない。困難があっても痛みを乗りこえレースを最後までやりとげる。
- 会社をはじめるときは、いっしょに旅をしてくれる優秀な人が見つかればうれしいものだ。しかし成長するにつれ、アメフトで言うと手が石でできたワイドレシーバーのような人が何人かいることに気づく。ボールを投げるとそのまま跳ね返ってきてしまう。いっぽうで、接着剤のような手をもつ人もいる。きみはまともな人間として、だめな人たちをなだめすかして、なんとかやっていくのが自分の役割だと考える。その人たちは社員として一○点満点のうち六点か七点の人たちだ。雇いつづければ会社はやがて機能不全に陥り、きみは能力のある少数の人と徹夜ですべての仕事をすることになる。
- 選択肢はふたつ、どこにもいきつけない二流の会社を経営するか、自分がもたらした凡庸さを一掃して成長できるようにするかだ。きみに野心があるなら、会社を九点と一○点の人材だけにして困難な仕事をあたえなければならない。
- 最後に、起業家として成功するには偏執的でなければならない。会社の規模にかかわらず、常に自分の会社は小さいと本気で思っている必要がある。会社が大きくなり成功しはじめたとたん、挑戦者が現れ、顧客を奪い、きみを打ち負かそうとあらゆる手を打ってくる。成功したと思った瞬間ほどあやういときはない。
- 創設者が率いる企業の多くは、寄せ集めのスタートアップから経営の良好な組織への転換をはかろうとしてつまずく。起業家はプロの経営者が使うもっと整然としたシステムより自分の本能を信じるほうを好むことがままある。会社を誕生させた本能やエネルギーになんらかの制限が課されることにもしばしば抵抗する。しかしゆくゆくはそうした制限が成長のつぎの段階の基礎を築くことになる。激動の創業期から、どこかの時点でほかの人たちが組織を前進させるのに手を貸せるようなシステムの実施に踏みきらなければならない。
- 毎年夏になると、シュワルツマン・スカラーズの卒業生にはなむけのことばを贈るために北京へ行く。話す内容を準備するとき、自分が学生で聴衆のひとりとしてその場にいるとしたらなにを知りたいか考えるようにしている。
- 「どんなふうにキャリアをはじめるにしても、人生は必ずしも一直線には進まないと覚悟しておくことが大切です。世界は予測できない場所だということを知っておいてください。ときには、みなさんのような才能のある人たちでも、愕然とさせられることがあるでしょう。生きていれば多くの困難や苦難に直面することは避けられません。逆風にぶつかったら、覚悟を決めて自分自身を前進させなければなりません。逆境そのものではなく、逆境に直面したときに立ちなおる力こそ、あなたがどういう人間かを決めるのです」
- 失敗はどんな成功よりも多くのことを教えてくれることを卒業生に知ってほしい。
- 「楽しめることに時間とエネルギーを注いでください。熱意がなければ卓越することはできず、名声のためだけになにかをしても成功につながることはまずありません。夢を追いもとめる情熱があり、忍耐があり、他者を助けることに力を注いでいるなら、充実した意義のある人生を送ることができ、いつも大成のチャンスがめぐってきます。そして、あなたの莫大な贈りものの恩恵は、あなた自身、愛する人々、社会全体にもたらされます」
仕事や人生に役立つ25のルール
- 大きなことをするのは、小さなことをするのと同じくらい簡単だ。努力に見合う報酬を得られ、追いかけるに値する空想を追求しよう。
- 一流の経営者は生まれつくのではなくつくられる。彼らは決して学ぶことをやめない。大きな成功をおさめている人や組織に出くわしたら、くわしく研究しよう。向上の助けになる現実世界からの無料の授業のようなものだ。
- 尊敬する人に手紙を書くなり電話をかけるなりして、助言や面会を求めよう。どんな人が会う気になってくれるかわからない。重要なことを学んだり、生涯にわたって切り札となるつながりができたりすることもある。人生の早い時期の出会いは、ほかにはない結びつきを生む。
- 人間にとって自分の問題ほど興味深いものはない。ほかの人がなににとり組んでいるかを考え、助けになるアイデアを提案できるように心がけよう。どんなに目上の人もどんなに重要な人も、考えぬかれた内容であればたいていは新しいアイデアにも耳を貸すものだ。
- どんなビジネスも、相互に関連する個別の部分からなる閉じた統合システムだ。優れた経営者は、各部分が単独でどう機能するか、ほかのすべての部分とどうかかわって機能するかを理解している。
- 情報はビジネスにおいてもっとも重要な資産だ。知識が増えれば増えるほど、より多くの視点をもてるようになり、競合より先にパターンや異常を発見する可能性が高くなる。新しいインプットに対して常に心を開いておこう。これは人にも経験にも知識にも言える。
- 若いうちは、学べることが多くてしっかり研修させてもらえる仕事につこう。最初の仕事が基礎になる。立派そうに見えるという理由で就職するのはよくない。
- 自己紹介をするときは、印象が重要なことを覚えておこう。全体として筋が通っていなければならない。きみが何者かを示すあらゆる手がかりを相手は探している。時間厳守。等身大で臨む。準備する。
- どんなに聡明な人でも、ひとりであらゆる問題を解決することはできない。しかし、頭のいい人が大勢で率直に話し合えば問題を解決できる。
- 困難な立場にある人は自分の問題にばかり目を向けがちだが、その答えはたいてい他人の問題を解決することにある。
- 自分自身のニーズよりも大きいものを大切にしよう。会社でも、国でも、兵役でもかまわない。自分の信念や価値観に突きうごかされて挑戦することは、成功しても失敗しても価値がある。
- 自分の善悪の感覚から逸脱してはいけない。清廉潔白をつらぬく。小切手を書いたり自分の懐が痛んだりしない状況で正しいことをするのは簡単だ。なにかをあきらめなければならない状況で正しいことをするほうがむずかしい。常に有言実行を心がけ、自分の利益のために人を惑わしてはいけない。
- 大胆に。成功する起業家、経営者、個人は、いまがそのときだと思えばすぐに行動する自信と勇気をもっている。ほかの人が慎重なときにリスクを受け入れ、ほかの人が動けずにいるときに行動を起こすが、それを賢くおこなう。この特徴はリーダーの印だ。
- 自己満足してはいけない。なにごとにも永遠はない。個人であろうと企業であろうと、自分自身をつくりなおし、改善する方法をたえず模索しなければ、競争相手に負けてしまう。とくに組織は意外なほど脆弱だ。
- 最初の売りこみで商談が成立することはめったにない。自分がなにかを信じているからといって、ほかの人も信じてくれるとはかぎらない。くり返し説得力のあることばで売りこむ必要がある。ほとんどの人は変化を好まないため、なぜ変化を受け入れるべきかを納得させる必要がある。自分が欲しいものを求めることを恐れてはいけない。
- 大きな変革の機会を見たら、だれもそれを追いかけていないからといって心配する必要はない。ほかの人には見えないものを自分だけが見ているのかもしれない。問題が困難であればあるほど競争はかぎられ、解決できる人への報酬は大きくなる。
- 成功はまれな機会を生かせるかどうかがすべてだ。心を開き、よく注意して、いつでもチャンスをつかめるようにしておこう。ふさわしい人材と資源を集め、専念する。そのような努力をする準備ができていないのであれば、そのチャンスは思ったほど魅力的でないか、自分がそれを追求するのにふさわしい人間ではないかのどちらかだ。
- 時間はどんな取引も傷つけ、ときにはだいなしにすることさえある。待てば待つほど、待ちうける不意打ちも増える。とくに厳しい交渉では、合意に達するまで全員をテーブルに縛りつけておこう。
- 決して損失を出すな! あらゆるチャンスについてリスクを客観的に評価しよう。
- 意思決定は準備ができたときにしよう。追いつめられた状態で意思決定をしてはいけない。まわりの人は自分たちの目的や内部の政治など第三者的な必要性から決断を迫ってくるだろう。しかしほとんどの場合、「もう少し考える時間が必要だ。また連絡する」と言えばいい。この戦術は、もっとも困難で不快な状況でさえやわらげるのに非常に有効だ。
- 心配することは、能動的に心を解放する働きだ。適切な方向に向けられていれば、どんな状況でもマイナス面を明確にし、それを避ける行動につなげることができる。
- 失敗は、組織にとって最高の教師だ。失敗について率直かつ客観的に話そう。なにが悪かったのか分析しよう。意思決定や組織行動について新しいルールを学ぶことができる。しっかり評価すれば、失敗は組織のたどる方向を変え、将来的にさらなる成功につながる可能性を秘めている。
- 可能な場合はいつも一○点満点の人材を採用しよう。一○点の人材は、問題を見つけだし、解決策を立案し、事業を新しい方向へ向かわせることに積極的だ。彼らはほかの一○点満点の人材もひきつけて雇う。一○点の人材がいれば必ずなにかをつくりあげることができる。
- いい人だと思う相手のためなら、ほかの人たちが立ち去ってしまっても、そばにいてやろう。だれでも厳しい状況に陥ることはある。相手が必要としているときなにげなく親切にふるまうことは、人生の流れを変え、予期しない友情や絆を生みだすことがある。
- だれにでも夢がある。ほかの人が目標を達成するのを助けるためにできることをしよう。
免責事項
記事は、一般的な情報提供のみを目的としてのみ作成したものであり、投資家に対する有価証券の売買の推奨や勧誘を目的としたものではありません。また、記事は信頼できると判断した資料およびデータ等により作成しておりますが、その正確性および完全性について保証するものではありません。また、将来の投資成果や市場環境も保証されません。最終的な投資決定は、投資家ご自身の判断でなされますようお願いします。